オオカミ少年たちの言い訳

人間にとって国とは何なのかを念頭に普通の国民の視点で出来事を綴ります。文章力の無さにつきましては御了承下さい。

或る夏の不思議な出来事

聞こえてきた言葉


2014年の夏、8月15日のことだった。私はその日、突然どこがどう悪いのか分からないような体調不良に陥った。気分転換にとボーッとした頭で掃除機をかけていると、ふと聞いた事のない言葉が頭の中で聞こえた。 (スズカゼ...トッコウタイ)


"トッコウタイ" が特攻隊の事だとしたら知っているが "スズカゼ" とは何だろう?と思ったが気にせず掃除を続けた。するとまた(スズカゼ...トッコウタイ)と聞こえる。私は思わず手を止めた。すると(スズカゼ...トッコウタイ スズカゼ...トッコウタイ)と何度も繰り返す。「何かのお告げかよ?」と半信半疑でネットで調べ始めた。


まず『すずかぜとっこうたい』で調べてみると、どなたかのtwitterのニックネーム『涼風特攻隊』である事が判明。「これのことか?」と思いつつも他を調べてみると、艦隊これくしょんに『涼風駆逐艦』というのがあった。「何だよ、ゲーム関係の名前か~」と苦笑いした。


しかし話はこれからだ。聞き覚えの無い『涼風駆逐艦』が気になってもう一度調べてみた。すると『涼風駆逐艦田中正雄』という、誰かのツィートを見つけた。これもゲームの話しらしい。私は、艦これにも艦船にもまったく興味は無かったが『田中正雄』という名前に興味を持った。それは私の曾祖母の結婚前の苗字だったからだ。


それで真剣に調べ始めた。『涼風駆逐艦』というのは大東亜戦争(太平洋戦争)以前に造られた日本海軍の駆逐艦。白露型の10番艦(海風型4番艦)とあった。普段なら私の興味はここらへんで終わる。けれどその中に『12月15日』という日付を見つけた。この日は18年近く一緒にいて死んだ愛犬の誕生日だった。私にとっては早くに亡くなった家族よりも、長く共に暮らした大事な存在だ。この事により私の興味はさらに続く事になる。そして説明文の中に『田中正雄』という名前が見えた。何と『田中正雄』は実在の人物で涼風駆逐艦の艦長だった。それも乗艦したのが12月15日だったのだ。


それからの私は興味の無かったはずの過去の日本軍の実録動画を目にすると、玉砕シーンでは悔しさや空しさ、複雑な感情が溢れ出し涙が止まらない状態が続いた。おかしな事に小野田寛郎少尉がルバング島から帰還した動画を見て、思わず敬礼までしてしまっていた。そしてこれをきっかけに過去の戦争の事や政治にも興味を持ち、今では中国の脅威や日本の海外との関わり方なども自分の頭で考えられるようになった。


田中正雄』という名前や『12月15日』をきっかけに深く調べ出したのは偶然だと言う方もいるだろう。けれど(スズカゼ...トッコウタイ)という声が聞こえた事に関しては説明がつかない。今考えると戦後70年目に英霊たちが現在の日本の状況を嘆き、しっかりせよと私にお花畑から脱却する事を促したのかもしれないと思っている。


現在、私はその英霊たちに敬意を表す意味で、ブログなどで『涼風』をニックネームに使わせてもらっている。

田中正雄大佐についての資料
人名事典たな〜.The Naval Data Base.【12/15 涼風艦長 田中正雄】
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海軍兵学校出身者田中正雄 第50期】
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1939年(昭和14年)11月15日。田中正雄中佐(涼風駆逐艦長)は海軍艦政本部部員へ転任。
1944年(昭和19年) 1月24日。第二四駆逐隊「涼風駆逐艦」艦長は山下正男少佐。1月25日23時5分、ポナペ島付近で米潜水艦に雷撃されて沈没。艦長以下231名が戦死。生存者13名とも。 1月25日に戦死した山下正男少佐は同日附で海軍中佐に昇進。(wikipedia参照)


*訂正しました(1/20)愛犬の命日⇒愛犬の誕生日