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オオカミ少年たちの言い訳

人間にとって国とは何なのかを念頭に普通の国民の視点で出来事を綴ります。文章力の無さにつきましては御了承下さい。

日本最大級の護衛艦「いずも」が出動

南シナ海で日米連携


海上自衛隊護衛艦、「いずも」「さざなみ」が米海軍と南シナ海で初の共同訓練をした。南シナ海で日米が共同訓練 - 産経ニュース
北朝鮮による攻撃を抑えるための軍事行動も然ることながら南シナ海での中国へのけん制も重要事項だ。安保法制定や憲法9条改正に反対している方は冷静になって考えてみたほうが良いと言いたい。


今回、訓練をした「いずも」は海自で最大級の護衛艦。というかヘリ空母と言えるのではないだろうか。日本の自衛艦には艦内神社があり「いずも」には出雲大社の御神璽(おみたま)が祭られている。


(画像は海上自衛隊のHPより) f:id:protocl:20170511063231p:plain:w400

(lalaさんのツイートより)


自衛艦にはそれぞれのロゴマークがあるようだが「いずも」のロゴは三種の神器の一つで熱田神宮の御神体『草薙の剣』と、神話に出てくる『ヤマタノオロチ』をモチーフにしたものだ。日本を護って下さっている自衛隊と、天皇の持つ武力の象徴であるとされる『草薙の剣』には自然に尊敬と敬意の感情が湧く。

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(ロゴのデザインは「梅原 敦」さんによるもの)


現在の憲法では米軍に軍事力の大半を頼らなくてはならない状態だ。軍隊ではない自衛隊保有する日本は世界の中でも奇妙な国である。自分の事も守れない国は、もはや国として成り立たない。日本国民は軍事力が防衛だけではなく、外交の基盤にもなるということを知る必要があるだろう。それは日本のため、つまり自分自身のためでもあるからだ。


ミサイルが飛んで来た ! あなたは無抵抗で死にますか?

緊急時に鳴らなかった国民保護サイレン


3月6日に北朝鮮からのミサイルが秋田県男鹿半島から西に約300〜350キロの日本海に落下したのは、日本の漁船が操業している海域だった。しかし、この時点では何故か緊急時のサイレンは鳴らされず、同月17日に秋田県男鹿市で行なわれた避難訓練でやっと聞くことになった。北朝鮮からのミサイルが自分達の生活圏に何度も落下している男鹿市の方々は、この日、真剣に訓練をやっていた。
*国民保護サイレン(弾道ミサイル発射、大規模テロ、ゲリラ・特殊部隊攻撃、航空攻撃に鳴る警報音)  サイレンはこちらで聞けます (直ぐに鳴り出すので注意)


しかし、国民の危機感は秋田県から離れるほど薄いのではないだろうか。人間は自分に直接関係無ければ無関心なものであるが、私たちが無関心であっても北朝鮮からのミサイルの危機という現実は変わらない。このブログを見ている間にも自分の町が攻撃される可能性は充分にある。さらに、日増しに現実味を帯びて来ている朝鮮半島の有事が起きれば、朝鮮半島から戦争難民が押し寄せ、その中に銃装備をした軍人や、北朝鮮と関係の深い中国の人民解放軍が紛れ込み襲撃してくるかもしれない。


こんな状態にも関わらず、自分から考える事を放棄する事は自殺行為と同じになる。危機管理をする事により自分も家族も愛する人も護らなければいけない。その為に避難訓練と心構えが必要だと考える。これを実現するには日本政府が有事に備え、全国規模で避難訓練を実施する必要がある。そして自衛隊の防衛能力を増強し国民を護る為、先制攻撃が出来る体制を整えなければいけない。しかし、腰の重い政府の対応を見ていると、本当に危機を感じているのかと疑いたくなる。事が起こってからでは遅過ぎるのだ。

日本は決して忘れてはいけない。有事の危機と朝鮮半島は日本のすぐ傍にあるという事を。


知られていない現代の逸材『安濃 豊』氏

日本を覚醒させる国士

以前のブログ記事でも紹介したが改めて詳しく紹介しようと思う。


安濃 豊氏は日本人の敗戦史観、自虐史観を取り除く為、大東亜戦争(太平洋戦争)が侵略ではなくアジア解放の為の戦争であった確たる証拠である『帝国政府声明文』を日本で初めて発掘し、ネット、動画、ラジオを通じ広めるべく活躍している人物である。
現在、ラヂオノスタルジア(FM78.6MHz)代表取締役であり、月曜日から金曜日までラジオ放送と同時間にyouubeで「安濃 豊の学問所」という動画配信をしている。企業のスポンサーは受け付けず、リスナー、生徒による寄付金、授業料のみで運営されているラジオ放送局。

『安濃 豊(あんのうゆたか)』氏の経歴
1951年12月8日、札幌生まれ


1967年 道立札幌北高校入学。翌年、「中谷宇吉郎」の弟子であった北大理学部物理学科の物理学教師「疋田裕先生」に師事する。
1975年 北大農学部農業工学科卒業後、4月に内閣府北海道開発庁)にキャリアとして入庁。
1976年 吹雪風洞実験法・模型理論を実用化。(世界初)
1978年 中谷宇吉郎の弟子だった北大低温研所長「黒岩大助」に師事。
1985年 中谷宇吉郎制作の風洞実験装置を吹雪風洞に改良。(北大農学部に残置されていた実験装置)
1985年 吹雪風洞実験法・模型理論を米軍に供与するため米陸軍より招聘され渡米。米国陸軍寒地理工学研究所「CRREL」の研究員となる。(中谷宇吉郎マッカーサー将軍の依頼を受けて設立した研究所)
1985年 ニューハンプシャー州立大学土木工学科研究員となる。陸軍と兼務。(招請窓口となったマルコム・メラー博士は中谷宇吉郎の弟子)
1986年 北大農学部より農学博士号取得。博士論文 「吹雪模型実験による農業施設の防雪(邦訳)」(実物は全英文)
1986年 安濃 豊が制作した吹雪風洞施設を米陸軍参謀長ウィッカム大将が視察。重要研究に指定される。
1989年 アイオワ州立大学航空宇宙工学科に招請され客員研究員となる。(火星表面の砂嵐研究)
2000年 「ラヂオノスタルジア」開局。
2006年 小説出版「戦勝国は日本だった」 
2012年 歴史書出版「大アジア解放戦争」 
2014年 靖国神社にて公演。演題「有色人種を解放した大日本帝国
2014年 北大博物館に保存される「中谷研究室」を訪ね、中谷宇吉郎が制作した風洞装置制作図面を確認。
2015年 札幌護国神社にて公演。演題「国家神道こそ世界最強信仰」


評論家、歴史家、作家、雪氷科学者、農学博士。
2007年に難病ギランバレー症候群を発症。重度2級障害者。移動には杖、車椅子を必要とする。
(安濃 豊氏のyoutube動画の経歴紹介を参照)


この経歴を見る限り、只者ではない安濃氏だが驚く事は他にもある。
安濃氏の経歴の中に中谷宇吉郎という名前が何度も出てくる。この人物は、人工雪の製作に世界で初めて成功した国際的に著名な物理学者で北海道帝国大学理学部教授、北海道大学理学部教授などを歴任している。中谷宇吉郎は1900年7月4日生まれ。そして亡くなった日は 1962年4月11日。


実はこの中谷宇吉郎が亡くなった日と同年、同月、同日に安濃氏は不思議な体験をしている。その体験とは「1962年4月11日、10歳と4ヶ月の時、深夜、知らない初老の紳士が亡霊として枕元に立っていた」というもの。これはご家族も一緒に体験した事らしい。安濃氏は20年後の1982年2月、子供の頃に見た亡霊が中谷宇吉郎であったことを雑誌「ニュートン」の特集により知った。そして、その中谷宇吉郎風洞実験装置を未完のままで亡くなっていたのだ。


高校入学後から安濃氏は何かに導かれるように中谷宇吉郎の弟子だった人物と次々に出会った。そしてついに北大農学部に残置された中谷宇吉郎制作の風洞実験装置を1985年5月に吹雪風洞に改良した。志半ばにして亡くなった中谷宇吉郎の研究を安濃氏が引き継ぎ完成させたのだ。何とも不思議な出来事である。安濃氏は風洞実験装置を吹雪風洞に改良後、米国への赴任が決定した1985年6月に中谷宇吉郎の自宅を訪問し中谷の霊前に報告した。中谷から託された研究を成し遂げ、米国で研究指導する事により安濃氏の使命は終わった。


しかし、安濃氏の使命はこれだけでは無かった(`・ω・´)シャキーン!
目に見えないものからの指令が、その後も続くのである。長くなるので、この話は次回のブログに記載する事にしよう。


安濃 豊氏 著書⇒http://annoyutaka.wook.jp/
*「wook」が「Beyond Publishing」に引き継がれた為、安濃 豊氏の著書は一時的に出版を休止しております。暫くお待ち下さい。
*安濃 豊氏の出版物に関する追加情報 現在デジタル版及びネットでの販売はありません。ブログのコメント欄に書き込むと購入出来るようです。安濃 豊氏 ブログ⇒帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」 : 昭和16年12月8日午後0時20分発表の帝国政府声明文

《お知らせ》
20017年4月未明、安濃博士の過去の動画が何者かによる通報で削除された模様。よって、以前掲載したブログ記事内の動画は閲覧出来なくなっています。

以前のアカウントより変更。新しい動画はこちらから↓
安濃博士の「ラジオ学問所」youtubeライブ配信。月~金曜日 18:30頃から放送。
www.youtube.com


3/11 修正しました。太平洋戦争→大東亜戦争(太平洋戦争)



「日本の慰安婦強制連行なかった」とソウル地裁が認めたのか

日本の新聞各社は真実を報じているのか?

*1月27日、記事内容を削除、訂正致しました。
訂正の理由は朝鮮日報の記事の中で「朝鮮人慰安婦の中、自発的な意思があった慰安婦がいた」「(旧)日本軍は公式的には誘拐や強制連行により慰安婦にしてはいなかった」などとした5ヵ所は事実の摘示であり...と書かれていますが、この事実の摘示の意味を知るにあたって摘示だけを調べた結果「あばき示す事」「かいつまんで示す事」とあったため事実をあばき示す事と解釈し、ソウル地裁が強制連行は無かった事を認めたと判断し記事にしました。しかし事実の摘示で調べてみると「名誉毀損において事実の摘示とは人の社会的評価を低下させる具体的事実を認識可能な状態にすることを意味する」となっており、実際に強制連行が無かったことを認めたかどうかという事が判断、確認出来ないので記事を訂正致します。削除箇所には訂正線を引いています。タイトルに関しましても『「日本の慰安婦強制連行はなかった」とソウル地裁が認めた』から『「日本の慰安婦強制連行はなかった」とソウル地裁が認めたのか』に変更させて頂きます。誤解を与えた事に対しましてお詫び申し上げます。


「帝国の慰安婦」の著者「*1 朴 裕河(パク ユハ)」氏が慰安婦被害者への名誉毀損で訴えられていたが、ソウル地裁は求刑懲役3年に対し「無罪」の判決を出した。
www.chosunonline.com
この判決内容で注目すべきところは、地裁が “「朝鮮人慰安婦の中、自発的な意思があった慰安婦がいた」「(旧)日本軍は公式的には誘拐や強制連行により慰安婦にしてはいなかった」などとした5ヵ所は事実の摘示であり、30ヶ所は意見表明だと指摘した。” というところだと思う。確かに地裁も韓国国民に対しての配慮だろうか、言い訳がましい事も言ってはいるが、無罪判決を出したのだ。


これは両国にとって発展的な展開ではないだろうか?しかし、日本の各新聞の記事を見てみると裁判官の読み上げた文章だと思うが、新聞各社で記事の内容が違っている。私のブログに掲載した朝鮮日報の記事にある 5ヵ所は事実の摘示であり…の前文の表現が微妙にちがっている。日本の新聞記事では「(旧)日本軍は公式的には誘拐や強制連行により慰安婦にしてはいなかった」などとした5ヵ所は事実の指摘であり…が抜けている。これは朝鮮日報「帝国の慰安婦」:朴裕河教授無罪判決に日本人記者「完勝」-Chosun online 朝鮮日報 の記事で見えてくる事だが、ソウル地裁に取材に行っていた各社の記者の主観が入り込み、判決に対する裁判官の読み上げた内容の翻訳の正確性が問われる。


かろうじて米ハイフンポスト韓国版では強制連行ではなかった事を書いてはいるが朝鮮日報の記述とは異なっている。『帝国の慰安婦』著者・朴裕河教授に無罪 韓国の裁判所、名誉毀損を認めず

産経の記事で「無罪判決が出たからといって、韓国社会が元慰安婦の声に耳を傾けなくなったわけではない」という文章があるが、これは勿論、推測出来る事だ。

・日本と韓国がどれだけ長い年月、慰安婦問題でもめて来たか。
・韓国政府がどれだけ反日教育をしてきたか。
慰安婦の問題には北朝鮮の工作が入っている。

この事から考えれば当然とも言える。過去に韓国の地検が記事に対して「朴槿恵大統領への名誉毀損」で産経新聞の加藤達也 前ソウル支局長を起訴し、17か月にわたり出国禁止を言い渡していた事実がある。この事を考えれば、産経新聞としては表現の自由が認められた今回の判決内容は釈然としないのは当たり前だろうが、日本にとっての肝心な「強制連行は無かった」という部分を前面に出していないのはどう言う事だろう。


結局、産経新聞の記者も日本の名誉などはどうでもいい事なのかもしれないと感じた。改めて強制連行が無かった事をソウル地裁が認めた事を是非、記事にして欲しいと願う。


今後、この無罪判決により韓国社会がどう動くかは未知数だ。そろそろ決着を付けたいところではあるが、日本側は韓国社会の歪んだ構造を承知のはずなので、どんな事になろうとも直ぐに熱くならないで冷静に対処しなければならない。
(このブログの記事は現在の時点で私が見た新聞記事の内容に対する意見です)

*1:朴 裕河氏は、現在韓国世宗大学日本文学科教授。高校卒業後訪日。慶應義塾大学文学部国文科を卒業後、早稲田大学文学研究科で学んだ。2003年「日本近代文学とナショナル・アイデンティティ」で早稲田大学博士(学術)。韓国に日本近現代の文学、思想を紹介。夏目漱石大江健三郎柄谷行人などの著作の韓国語への翻訳を手がけている。wiki参照

歴史の真実に怯える中国共産党

世界が暴露し始めた中国共産党の歴史

日中戦争(支那事変)における中国の歴史歪曲】
中国共産党は「毛沢東が日本軍と戦って勝利した」という事を言い続けてきたが、この虚構が暴露されていた。


中国が日中戦争(支那事変)を戦っていた時、実は毛沢東中国共産党のスパイである「潘 漢年(はん かんねん)」を上海にあった日本の諜報機関である岩井公館(大使館の称)に接触させ停戦を求め、さらには共に戦っていた国民党軍の情報を漏洩し国民党に代わって天下を取る目的を果した。その事実を当時上海副領事だった「岩井 英一」氏が著した『回想の上海』等を熟読して発見したのは「遠藤 誉」氏(東京福祉大学特任教授)。遠藤氏は日本側スパイの回顧録と毛沢東の記録を精査し歴史の真実を著書の中で綴っている。


「遠藤 誉」氏はアメリカの共和党系シンクタンク Project2049 から声が掛かり2016年9月20日にワシントンで開催された国際シンポジューム「中国共産党と歴史戦」で講演し、アメリカ国家記者クラブで新著『毛沢東 日本軍と共謀した男』の中国版を紹介した。遠藤氏はアメリカ側から声が掛かった事に驚いたと語っている。遠藤氏は中国政府のシンクタンク中国社会科学院の元客員教授である。



毛沢東は日本軍と共謀していた 日本人研究者が指摘日本新唐人テレビ 記事


南京出身で中国の歴史学者「辛 灝年」(しん こうねん)氏はこう語りました。
(元国家主席の)「胡耀邦(こようほう)」氏はかつてテーブルを叩いて、「我ら共産党の歴史を人民が知ったら人民は我々を倒すであろう」と叫びました。

遠藤氏
「潘漢年が岩井に対して中国共産党軍と日本軍の停戦を求めていたことを発見しました。本当に驚くべきことです。中華民族に対する裏切りではないでしょうか。」
辛 灝年氏
中国共産党が抗日戦争における第二の漢奸(売国奴)集団であったことが同書で暴かれた」

西洋の学者も「強大に見える中国共産党のその内側は実は非常に脆弱であると考えている。中国共産党統治の合法性を保持するために歴史の真相を隠し歪曲している」と指摘している。
このシンクタンクで発表された内容にも驚くが、更に興味深いのはこれがアメリカ共和党系のシンクタンクの要請によるものであるというところだろう。
【日本新唐人テレビの記事参照】


南京事件の嘘】
皆さんはこの映画を見た事がおありだろうか?
チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道 - Wikipedia
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中国、ドイツ合作【画像は産経の記事より引用】

映画内容
日中戦争(支那事変)時、上海に滞在していた英国ジャーナリスト「ジョージ・ホッグ」氏が南京で、日本軍が大勢の市民を殺害する現場に居合わせカメラに収めたが、日本軍に見つかり処刑寸前に中国共産党の軍人に助けられた。その後、黄石の施設に赴いたが黄石に日本軍が迫って来たため、60名の中国人孤児と共に山舟へと逃れる事を計画する。この事は後に「小さな長征」と呼ばれる事になる。wiki参照


この映画が根拠なのだろうか、中国の習近平国家主席は2015年10月に英国訪問中に「ジョージ・ホッグ氏が第二次大戦の際、記者として侵略者日本の残虐行為を暴く記事を発表した」と紹介したが、産経新聞の調査によると矛盾だらけであることが分かった。


映画の原作は、英タイムズ紙記者のジェームズ・マクマナス氏が執筆した『オーシャン・デビル』なのだが、ジェームズ・マクマナス氏は「ホッグ氏の中国入りは1938年2月で彼は南京に行っていない。映画は脚色され事実ではない」と証言した。


事実をまとめてみると
ジョージ・ホッグ氏の南京入りは1938年2月。
・日本軍が南京を占領したのは1937年12月13日から6週間程。
・英紙マンチェスター・ガーディアンやAP通信の記者を務めたとされるジョージ・ホッグ氏の在籍記録も著名記事もない。
ジョージ・ホッグ氏は記者ではなく中国の山舟で校長をしていた。在重慶英国領事館から英外務省に宛てた1946年1月9日付公文書(英国立公文書館所蔵F0369/3426より)


習近平氏が賞賛したジョージ・ホッグ氏は南京事件とされるものが起こっている時、少なくとも南京にはいなかった事になる。この事実から考えてみると、南京事件の事実を描いたとされる映画の内容には疑問を持たざるを得ない。なぜ習近平氏はこんな虚偽の映画を作る必要があったのだろう。普通に考えると中国の主張する「南京事件」が真実では無いからと言えるのではないだろうか。
産経新聞の記事参照】
【歴史戦】習近平氏が「日本の暴行暴いた」と称賛した英国人記者、「南京事件」の現場に居合せず 在職記録もなし(1/3ページ) - 産経ニュース


この日中戦争(支那事変)については、最近、台湾の国史館(中華民国の歴史研究機関)が、日本軍と戦った国民党の蒋介石元総統に関する史料や文物のデジタル画像5万点を新たなシステムで検索可能にすると発表した。蒋介石元総統の直筆による手紙や電報、指令等もあるようだ。これはネットで誰でも見る事が出来る。これで誰も歴史を歪曲することは出来なくなる。
国史館、蒋介石元総統に関する史料5万点をネット公開へ - 台北駐日経済文化代表処


あちこちで聞こえ始めた “悪しき者達が作った虚構の砦” が足元から崩れ落ちる音。
どうも英霊達が「日本国復興計画」を粛々と進めているような気がする。


実にミステリアスですなぁ~( ̄ー ̄)


これが霊の世界なのか?

説明のつかない現象と出会い


私は小学校4年生の時の霊体験以来、周囲で色々な現象が起こるようになった。幻想や妄想ではなく、誰も触っていない物が目の前で大きく動くこともあった。現在でも理解し難い現象は続いている。


話は少し反れるが 以前のブログ に書いたように私は英霊たちの導きかと思えるような現象でお花畑から脱却し、勉強のためにとチャンネル桜を見ていた。しかし保守と呼ばれる評論家達の話の内容がまるで「お経」のように聞こえ始め、私が求めるものではなくなっていった。そんな時、ある人物と出会った。ラヂオノスタルジアの社長で農学博士の*1安濃 豊という人物だ。けれど直接の出会いではなく安濃博士の youtube での動画配信「安濃 豊の学問所」との出会いだった。


初めて見た時、安濃博士は椅子に寝そべるように座り、机の上に足を乗せた随分な姿勢だった。この随分な姿勢に興味が湧き、動画を視聴し始めたと言っても過言ではない。安濃博士は科学者の目で出来事を紐解いていく。自称保守の評論家達とは違う的確な判断に刺激を受ける。この動画に興味を持った原因はもうひとつある。それは、その日私が疑問に思った事柄を知るはずのない安濃博士が、同日、同じ内容を取り上げて答えをくれるという事だ。内容がタイムリーな話ではないのが尚更不思議なところ。思わず「おお!」と口に出してしまう。それが4~5回もあると偶然とは言い難くなってくる。見始めの頃は安濃博士の毒舌に引いてしまって「こんな動画見るもんか!」と何度か思ったが、何故かついつい見てしまっていた。まるで誰かに操作されてるかのようだった。


この何とも不思議な現象がまた今年の1月14日(土曜日)に起きた。安濃博士のライブ動画の配信は月曜日から金曜日迄なので、私は「今日は動画は休みだから勉強でもしよう。やり掛けていたのは 元寇 のところだったな?」と本を開こうと思ったが、急に安濃博士の事が気になり動画を見てみた。すると、いつも休みのはずの土曜日に安濃博士がライブ配信をしていた。これにも驚いたが、何とタイトルが『何故自虐になる?日本の対外戦争。元寇 から大東亜戦争まで』だったのだ。
まただ… (゚ロ゚;ノ)ノ ヒィィィィィ!!!


これでもまだ偶然と言えるのだろうか。
そして不思議な話しは他にもあった。実は安濃博士も霊感の強い方で、もっと凄い体験をしている。怖がりじゃない方は是非、下記のブログを読んで頂きたい。とても希少な体験談だと思う。 安濃 豊 facebook 【睡眠霊通と言う言葉を作った】

*1:「安濃 豊」博士は、現在コミュニティー放送ラヂオノスタルジア社長。
農学博士・雪氷学者・歴史家・作家(著書⇒http://annoyutaka.wook.jp/現在ネットでの販売は行なわれていません)
元々は総理府キャリア。米国陸軍寒冷地研究所、ニューハンプシャー大学、アイオワ大学研究員を経る。
安濃 豊 facebookはこちら⇒https://www.facebook.com/yutaka.anno?fref=nf


或る夏の不思議な出来事

聞こえてきた言葉


2014年の夏、8月15日のことだった。私はその日、突然どこがどう悪いのか分からないような体調不良に陥った。気分転換にとボーッとした頭で掃除機をかけていると、ふと聞いた事のない言葉が頭の中で聞こえた。 (スズカゼ...トッコウタイ)


"トッコウタイ" が特攻隊の事だとしたら知っているが "スズカゼ" とは何だろう?と思ったが気にせず掃除を続けた。するとまた(スズカゼ...トッコウタイ)と聞こえる。私は思わず手を止めた。すると(スズカゼ...トッコウタイ スズカゼ...トッコウタイ)と何度も繰り返す。「何かのお告げかよ?」と半信半疑でネットで調べ始めた。


まず『すずかぜとっこうたい』で調べてみると、どなたかのtwitterのニックネーム『涼風特攻隊』である事が判明。「これのことか?」と思いつつも他を調べてみると、艦隊これくしょんに『涼風駆逐艦』というのがあった。「何だよ、ゲーム関係の名前か~」と苦笑いした。


しかし話はこれからだ。聞き覚えの無い『涼風駆逐艦』が気になってもう一度調べてみた。すると『涼風駆逐艦田中正雄』という、誰かのツィートを見つけた。これもゲームの話しらしい。私は、艦これにも艦船にもまったく興味は無かったが『田中正雄』という名前に興味を持った。それは私の曾祖母の結婚前の苗字だったからだ。


それで真剣に調べ始めた。『涼風駆逐艦』というのは大東亜戦争(太平洋戦争)以前に造られた日本海軍の駆逐艦。白露型の10番艦(海風型4番艦)とあった。普段なら私の興味はここらへんで終わる。けれどその中に『12月15日』という日付を見つけた。この日は18年近く一緒にいて死んだ愛犬の誕生日だった。私にとっては早くに亡くなった家族よりも、長く共に暮らした大事な存在だ。この事により私の興味はさらに続く事になる。そして説明文の中に『田中正雄』という名前が見えた。何と『田中正雄』は実在の人物で涼風駆逐艦の艦長だった。それも乗艦したのが12月15日だったのだ。


それからの私は興味の無かったはずの過去の日本軍の実録動画を目にすると、玉砕シーンでは悔しさや空しさ、複雑な感情が溢れ出し涙が止まらない状態が続いた。おかしな事に小野田寛郎少尉がルバング島から帰還した動画を見て、思わず敬礼までしてしまっていた。そしてこれをきっかけに過去の戦争の事や政治にも興味を持ち、今では中国の脅威や日本の海外との関わり方なども自分の頭で考えられるようになった。


田中正雄』という名前や『12月15日』をきっかけに深く調べ出したのは偶然だと言う方もいるだろう。けれど(スズカゼ...トッコウタイ)という声が聞こえた事に関しては説明がつかない。今考えると戦後70年目に英霊たちが現在の日本の状況を嘆き、しっかりせよと私にお花畑から脱却する事を促したのかもしれないと思っている。


現在、私はその英霊たちに敬意を表す意味で、ブログなどで『涼風』をニックネームに使わせてもらっている。

田中正雄大佐についての資料
人名事典たな〜.The Naval Data Base.【12/15 涼風艦長 田中正雄】
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海軍兵学校出身者田中正雄 第50期】
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1939年(昭和14年)11月15日。田中正雄中佐(涼風駆逐艦長)は海軍艦政本部部員へ転任。
1944年(昭和19年) 1月24日。第二四駆逐隊「涼風駆逐艦」艦長は山下正男少佐。1月25日23時5分、ポナペ島付近で米潜水艦に雷撃されて沈没。艦長以下231名が戦死。生存者13名とも。 1月25日に戦死した山下正男少佐は同日附で海軍中佐に昇進。(wikipedia参照)


*訂正しました(1/20)愛犬の命日⇒愛犬の誕生日